60年の歩み

2013年9月、オッペン化粧品は創立60周年を迎えました。一人でも多くの女性に、本当の美しさと豊かさを。
その一念で歩み続けた半世紀以上の歴史をご紹介します。

1950年代 ひとりからの創業、そして組織へ

  • 名もなき少年の大志

    静岡県伊豆市土肥で生まれたオッペン化粧品創業者、山下一明。小学校では級長、放課後はガキ大将と、ひときわ目立つ存在だった彼の持ち前の負けん気は、小学校高等科の卒業が近づくにつれて大志へと発展。広い世界へ飛び出して、自分にしかできない大きな仕事をしてみたい。10代半ばを過ぎたまさに少年から青年への過渡期、一明は家出を敢行します。

  • 手づくりの心、全国へ

    1953年。大阪市西成区の商店街の一角にたたずむ、小さな洋品店。その2階にある小さな部屋の流し台で、化粧品づくりが始まりました。鍋やたらいを使って、せっせと夜なべで作った化粧品。それを鞄いっぱいに詰め込み、お客さまのもとへお届けにまわる。山下一明がたったひとりで始めた「山下美容化学研究所」はいつしか全国へと広がり、59年までに22支店が全国に設置されました。

  • ロングセラー「オイルパック」の誕生

    創業期の主要商品は、洗粉、オイルパック、ブリッチローション、コールドクリーム、スイートローション、サボイママ、ペッピーという手づくりの基礎化粧品7品目。そして、今も販売を続けるロングセラー商品、「オイルパック」もこの時期に誕生。湯煎して行うパックは、施術の心地よさと一度で実感できる肌の変化が好評を博し、温感パックの草分け的存在となりました。

  • 「教育のオッペン」はここから

    のちに「教育のオッペン」と異名をとるほど社員教育に力を入れる方針も、創業期から明確に打ち出されていました。54年には社員教育用冊子「美容の基礎知識」(第2号からは「美のいずみ」)を創刊。皮膚科学の基礎知識や化粧の仕方、新商品の情報、最新の業界動向、さらには海外の情報まで、幅広い知識と技術を習得することができました。

  • 龍のように、空高く飛躍を

    1957年11月、「龍宝堂製薬株式会社」を設立。株式会社への改組準備を進めていた最中のある夜、山下一明は龍が光の玉を抱いて天に昇っていく夢を見ます。まさに吉兆であると確信した一明は、この夢にちなんだ社名に、「肌を美しく、健康に保つ」という効用を強調するため、製薬という言葉を加えました。さらに、1959年9月、大いなる飛躍を求め、現在も本社を構える大阪府吹田市岸部に本社を移転します。

  • 「オッペン」の名に込めた決意

    1957年、龍宝堂製薬の販売部門を「オッペン化粧品本舗」と命名。自社独自の商品性を表現する商標を生み出したいと、創業当初から考えついたさまざまな商標でノートをびっしり埋め尽くしていた山下一明。「オッペン」は、「オープン」とドイツ語の「オペ(手術)」を組み合わせた商標であり、龍宝堂製薬の「製薬」と同じ意図が込められました。この命名は同時に「このような化粧品メーカーでありたい」というマニュフェストでもありました。

EVENT

1953年

「山下美容化学研究所」設立

「講習販売」「割賦販売」開始

1954年

「マーナ・アーデン美容化学研究所」に名称変更

社員教育用冊子「美容の基礎知識」「美のいずみ」発行

1957年

商標「オッペン」登録
「龍宝堂製薬株式会社」設立

販売部門を「オッペン化粧品本舗」と命名、製販分離体制へ

1959年

本社を吹田市岸部に移転・工場併設

PRODUCT

1953年

創業期発売
洗粉・オイルパック・ブリッチローション・コールドクリーム・スイートローション・サボイママ・ペッピー

1960年代 発展の土台は「教育のオッペン」

  • 化粧の文化を、全国すみずみまで

    オッペンのネットワークは年々広まり、1959年に22だった支店数は、62年に全国49を数えます。63年からは全国各地の百貨店で催された「大阪の物産と観光展」に協賛。商品の出品とともに、各地のセールス(外販員)や美容師が化粧品の使用方法を実践、アドバイスする美容相談室を設置しました。地方の女性にとっては、まだまだなじみのない化粧品に触れる目新しい機会。多くの女性が集い、賑わいを見せました。

  • 女性の美意識、開花の予感

    日本中がオリンピック景気に沸き返る60年代前半、創立10周年を記念して初の総合的な化粧品シリーズ「ダイヤクラス」を発売。当時、大手化粧品メーカーを中心に華やかなキャンペーンが展開されはじめ、成長著しい化粧品業界は注目を集めるようになりました。医薬部外品を中心とした高級化粧品シリーズ「ダイヤクラス」も、華麗なデザインとともに大きな話題に。この反響は、女性の美意識の開花を意味している。全社員が、悦びと使命感に心を震わせました。

  • 「魔法のクリーム」登場

    「ダイヤクラス」を代表する商品となったのが「ミラクルコーチクリーム」。ヒドロコーチゾンという副腎皮質ホルモンを配合し、肌の炎症などのトラブルを治め、健康な素肌をよみがえらせる特殊栄養クリームは、「魔法のクリーム」と評判を呼びました。中身のリニューアルは一度だけ、東洋美術の香炉を思わせる容器イメージはそのままに、今も根強いファンの多い薬用クリームです。

  • 今も続く“美人の手引き”

    1963年5月、お客さまに美容知識や商品情報を発信する「オッペン美容新聞」を創刊。化粧品の正しい使い方、女性にふさわしい身だしなみ…美意識や教養を高めるまさに“美人の手引き”とも呼べる情報誌は、同年8月発行の第4号から「オッペンビューティニュース」に名前を変え、現在も「Beauty News」として発行。2014年3月には、通算500号目を迎えました。

  • オッペンの進むべき道とは

    1960年頃から創業者・山下一明自ら起草し、社是や社訓の検討を重ね、64年に完成した「オッペン信条」。「オッペン信条はオッペンの進む道である」との同氏の言葉どおり、当社の基本精神として、現在まで受け継がれています。

EVENT

1960年

「外販制度」導入

1963年

新工場増設

美容情報誌「オッペン美容新聞」
(のちの「ビューティニュース」)創刊

「フルール会」発足

1964年

「オッペン信条」制定

1965年

外販員向け情報誌「研究会」創刊

1966年

山下一明「近畿化粧品工業会」理事に就任

1967年

「償還制度」・「指導員システム」発表

本社・工場増設

PRODUCT

1963年

「ダイヤクラス」発売

1966年

「ルビークラス」発売

男性用化粧品「マウンテンクラス」発売

1968年

「エポッククラス メークアップシリーズ」発売

1969年

「エポッククラス 基礎化粧品シリーズ」発売

1970年代 心ひとつに、大いなる飛躍を

  • 夜の街を照らすネオン塔

    1970年、総合化粧品メーカーとしてのさらなる拡大を目指し、メークアップ製品専用工場「千里工場」を建設。次いで71年には、最新機器を導入した中央研究所を併設し、その屋上には最初の「ネオン塔」が設置されました。幾何学模様にロゴが浮き出る鮮やかなネオン塔は、70年代後半から全国の主要都市に次々と設置され、各地のシンボル的存在に。そのデザインが高く評価され、さまざまな賞が贈られました。

  • 「新婚さんいらっしゃい!」でおなじみに

    1970年から「ベルトクイズQ&Q」「火曜映画劇場」「愛の劇場」「新婚さんいらっしゃい!」など、全国ネット番組の提供を開始。なかでも、「新婚さんいらっしゃい!」は71年から25年にわたり提供を続け、「オッペン化粧品」と名乗ると即座に「あっ、あの新婚さんの」と返ってくるほどの看板番組に。当社の名が、多くの方にとってますます身近なものになっていきます。

  • 美の殿堂「ゴールデンドア」オープン

    女性の美とは、外観と内面の調和の美である。そう信じ、創業時から“トータルビューティ”を理想としてきた創業者・山下一明は、1960年代の終わりに総合美容サロンの全国展開を宣言。そして72年、大阪千里中央駅前にその第一号が完成します。「ゴールデンドア」、別名「美の殿堂」。ヘアサロン、メークアップコーナー、全身美容コーナーに加えて、サウナやサンルームも設置し、医師によるメディカルカウンセリングも定期開催。その後、東京六本木(78年)、広島(81年)、札幌(82年)に次々と豪華なゴールデンドアがオープン。当施設へ通うことは、たちまち地元女性のステイタスになっていきます。

  • メークの楽しさをコンパクトひとつに

    1974年に登場した「アンサンブルセーレ メークアップシリーズ」。平均単価5,600円という高級シリーズながら、現代的で洗練されたイメージが人気を博しました。なかでも、アイメークを中心にチークなど6品目11種をコンパクトにまとめたセット「スキンバラエティ」が大ヒット。メークの楽しさを詰め込んだユニークなセットは、今も多くのベテラン販売員が、思い出深い商品として名前を挙げています。

  • 美の粋を集めた「ローズシャトー」

    すべての女性に、知識と教養を高め、本当の美しさを身につける場を提供したい。その一念で社員教育を徹底してきたオッペン化粧品は、いつしか「教育のオッペン」の異名をとるほどに。その新たな拠点として誕生したのが「教育センター」でした。1976年に「オッペン東京教育センター」、翌77年に大阪教育センター・別名「オッペンローズシャトー」を開設。その後各地に開設された教育センターは、一般にも開放され、オープン直後から婦人会などの会合の場として親しまれていきます。78年からは、ローズシャトー敷地内に咲き誇るバラを披露する「バラ祭(現ローズウィーク)」を開催。子供からお年寄りまで、地域の人々で賑わいました。

  • 黄金色に輝く、史上最高級シリーズ

    1976年、基礎化粧品シリーズ「ゴールデンクローズ」発売。世界の一流品にもひけをとらない最高の品質を求め、開発に費やした期間は足掛け5年。厳選した高純度の天然原料を使用し、厚生大臣から特殊成分の配合を認められた「承認化粧品」が中心となりました。効用、使用感、デザイン、どれをとってもこの上なくラグジュアリー。それまでの多彩な商品群のなかでも突出した最高級品となりました。

  • 本物を知る女性に、名花の香りを

    「ゴールデンクローズ」に次ぐ最高級品として誕生したのが「ホールオブビューティー」。創立25周年を記念して生まれた最高級フレグランスです。バラの名花「ロイヤルセンチュリー」の天然精油のみを使用し、その高貴な香りを余すところなく凝縮。外国人調香師も驚いたという本格的な香り立ちは、本物志向の女性たちから好評を博しました。

EVENT

1970年

「千里工場」完成

テレビ番組「ベルトクイズQ&Q」「火曜洋画劇場」提供

1971年

「中央研究所」竣工・ネオン塔第1号掲上

テレビ番組「新婚さんいらっしゃい!」提供開始

1972年

「オッペン・ゴールデンドア」(大阪ゴールデンドア)開設

初の海外研修旅行、香港・マカオ研修旅行実施

1973年

「訪販化粧品工業協会」設立、山下一明が理事に就任

1975年

「オッペン東京教育センター」竣工

「千里工場」に化粧水専用工場完成

山下一明「日本化粧品工業連合会」理事に就任

1977年

「オッペン化粧品株式会社」(販売部門)設立

「オッペンローズシャトー」(大阪教育センター・総合美容研究所)完成

中央研究所内に「応用生物研究所」設置

1978年

「オッペンローズシャトー」にて「バラ祭」開始

「東京ゴールデンドア」開設

「ステップレーベン薬品株式会社」(医薬品・健康食品販売子会社)設立

「龍宝協栄株式会社」(化粧用具・ノベルティ販売子会社)設立

1979年

「千里工場」に基礎化粧品工場完成

PRODUCT

1970年

「パールクラス」発売

1973年

男性用化粧品「メンズジャパン」発売

1974年

「DRクラス 基礎化粧品シリーズ」発売

「アンサンブルセーレ メークアップシリーズ」発売

乳幼児用シリーズ「ワンワールドベビー」発売

1976年

「ゴールデンクローズ 基礎化粧品シリーズ」発売

1978年

25周年記念商品「ホールオブビューティー」発売

25周年記念商品「アンサンブルセーレ 基礎化粧品シリーズ」発売

80年代 世界に認められたものづくり

  • 美しさは、健やかさあってこそ

    化粧品の販売だけでは、美しさへの真の貢献はできない。さらなる“トータルビューティ”の実現を目指し、1978年、医薬品と健康食品の販売会社「ステップレーベン薬品株式会社」を設立します。記念すべき健康食品第一号は、80年発売の「ボニービューティ」。大豆サポニンを主原料とし、今も「ボニービューティQ10」として販売を続けている商品です。オッペン化粧品の健康食品は、歴史ある商品ばかり。その歴史はまさに、リピーターの多さと品質のよさの証です。

  • 「『妙』基礎化粧品シリーズ」発売

    創立30周年を迎えた1983年、画期的な新商品が誕生します。「『妙(たえ)』基礎化粧品シリーズ」。「不思議なまでにすぐれているさま」を意味するその名前どおり、独自成分や新規生成物質を配合し、神秘的なまでの美容効果を発揮。「清楚な和」をイメージした美しく奥ゆかしいデザインも話題を呼びました。なかでも美容液「彩霞(さいか)」は、96年に類型販売個数200万本を突破。「オッペンといえば『妙』」と呼ばれるほどの代表商品となります。

  • 世界に認められたものづくり

    「『妙』基礎化粧品シリーズ」発売の翌年。製品の優秀さとともにそのデザイン性の高さが認められ、第25回「クリオ賞 インターナショナルパッケージデザイン部門」最高賞を受賞します。当時の日本では、“高級化粧品は西洋的なイメージでなければならない”という考えがあたり前。「妙」のクリオ賞受賞は、まさに“逆転の発想”が認められ、当社のものづくりとセンスが世界水準を超えたことを意味しました。

  • 新工場から、安定した品質を

    1986年、滋賀県草津市の広大な工場用地に、郊外型大型工場「滋賀工場」を開設。管理棟、食堂棟、メークアップ工場棟からなる当工場は、ものづくりの現場を一般の方にもご覧いただけるよう、見学通路も整備されました。のちには基礎化粧品などの製造設備も完備。2000年の「千里工場」閉鎖以来、研究開発から製造、物流まで、この滋賀工場で一貫して行われています。

  • プロのエステティシャンを育てたい

    日本の情報化が進み、一般の女性もテレビや雑誌からさまざまな美容知識が得られる時代に。もはやカウンセリングの知識だけではお客さまに満足していだだけないと、ローズシャトー内に日本エステティシャン協会(現・日本エステティック協会)認定学校「オッペンエステティックアカデミー」を開校します。以降、最新美容の正しい知識と技術を習得した販売員によって、新たなサービスを次々と展開。現在では広く一般にも本格的なエステティック講座を開き、全国から受講生が集っています。

EVENT

1980年

「ネオン塔」が「岡山県屋外広告コンクール」金賞受賞

「’80エステティック国際会議」にてメークアップコンテスト参加アーティストが第2位入賞

1981年

「広島ゴールデンドア」開設

「ネオン塔」が日本サインデザイン協会「第15回SDA賞」受賞

1982年

「札幌ゴールデンドア・札幌教育センター」開設

山下一明「社団法人 日本訪問販売協会」理事に就任

1983年

テレビ番組「クイズ世界まるごとHOWマッチ」「日曜ロードショー」提供開始

海外へ進出、マレーシア・シンガポールに化粧品の輸出を開始

1984年

「『妙』 基礎化粧品シリーズ」が「クリオ賞」受賞

1986年

「滋賀工場」第一期工事竣工

「オッペンローズシャトー」内に「オッペンエステティックアカデミー」開校

「龍宝興産株式会社」(当社所有不動産管理会社)設立

1988年

「四国教育センター・四国ゴールデンドア」開設

教育センター教養講座「O.C.C」(オッペンカルチャークラブ)開講

「ミリオン会」発足

1989年

美容社員対象「ローズ年金制度」発足

PRODUCT

1980年

健康食品第一号「ボニービューティ」発売

1981年

「ストップエイジ 基礎化粧品シリーズ」発売

1982年

「ストップエイジ メークアップシリーズ」発売

1983年

30周年記念商品「『妙』基礎化粧品シリーズ」発売

「スペクタスメークアップセット」発売

「オニオンヘルスフード」発売

「リスペクトンC」発売

1988年

35周年記念商品「メディアック」発売

90年代 対面販売の心で、真のサービスを

  • 研究所、20年の集大成

    「千里工場」中央研究所開設から20年が経った1990年。その間に培ってきた開発力、技術力を総結集した高級ブランドが誕生します。“肌のエイジコントロール”をコンセプトに、10歳若く見える素肌づくりを目指した「シフォネージュ」。エッセンスとエモリエントを組み合わせた「エモリエントキット」を皮切りに、翌年からラインナップを充実し、年々愛用の輪が広がっていきました。

  • 新社屋から、心新たに

    教育センターや美容施設が優先、本社は一番最後。創業者・山下一明のそんな強い意向により、1959年の移転以来、改修、増築を重ねつつ使用していた大阪岸部の本社社屋でしたが、93年、新時代の情報拠点として現在の本社社屋へと一新。IT、セキュリティともに大幅に強化され、全国の拠点をつなぐヘッドクオーターとして生まれ変わりました。

  • 日本の女性美を支え続けたい

    一点の曇りもない漆塗りに、繊細に輝く加賀蒔絵。日本の伝統の粋を集め、贅の限りが尽くされた創立40周年記念商品「オッペンコンパクト40th」。化粧品という概念を超えた芸術品には、今も昔も変わらない、日本人女性の美しさへの賞賛が込められました。

EVENT

1990年

「株式会社アントレ」(ファッション製品・宝飾品販売会社)設立

1993年

新本社ビル完成

山下一明逝去

「オッペンローズシャトー」が農林水産省・建設省「花のまちづくりコンクール」企業部門推進協議会賞受賞

山下聰一郎「訪販化粧品工業協会」副会長に就任

1994年

「オッペンローズシャトー」バラ園が「第5回大阪施設緑化賞」優秀賞受賞

1995年

「ポイントエステシステム」導入

1999年

「ローズクラブ」発足

PRODUCT

1990年

中央研究所開設20周年記念商品 「シフォネージュ エモリエントキット」発売

1992年

40周年記念商品「セルデュア 基礎化粧品シリーズ」発売

1993年

40周年記念商品「シュルファン メークアップシリーズ」発売

40周年記念商品「オッペンコンパクト40th」発売

1995年

「ウイズユー 基礎化粧品シリーズ」発売

1997年

「薬用『妙』 基礎化粧品シリーズ」発売

1999年

45周年記念商品「カリフィエ」発売

2000年代 温故知新を胸に、未来の創造へ

  • 大きな目標に向かって

    21世紀に突入してまもなくスタートしたのが「アーティスト大会」。第一線で活躍するメークアップアーティストを審査員に招き、全国の予選を勝ち抜いた販売員がエステティック・メークアップ・ネイルケア&アートの三部門で技術を競い合うコンテストでした。全国の販売員にとっては、日ごろ鍛え上げた実力を発揮するチャンス。そして、向上心とスキルを高める大きな目標となりました。

  • 心までとろけるクリーム

    今を生きる女性に、心から満足いただけるハイグレードな化粧品を。オッペン50年の美の結晶として生まれた「DR クライムベル エクセレントクリーム」は、創業以来守り続けた理念をかたちにしたクリームです。この上なく豊かな使用感と、気高いバラの香り。前向きに歳を重ねたいと願う女性たちに広く受け入れられ、「幸せな気持ちになれるクリーム」と呼ばれています。

  • いつも、いつまでも感謝の心を

    大阪岸部に本社を設立してから55年。周辺住民の皆さまに、日ごろの感謝をあらためて伝えたい。その想いをお伝えするため、2014年5月、本社敷地内のばら園を一般公開しました。6日間の総来場者数は6,289名。オリジナル品種「エリカ87」を含む約320種、計5,500本のバラが色とりどりに咲き誇りました。

EVENT

2000年

滋賀工場に基礎化粧品工場完成

2001年

「アーティスト大会」開始

2003年

「龍宝堂製薬株式会社」と「オッペン化粧品株式会社」が合併

2004年

「創立50周年記念ローマ大会」開催

2006年

「ネイルカフェ」開設

2013年

「本社ばら園」完成

2014年

「創立60周年記念大会」開催

「本社ばら園」一般公開

PRODUCT

2001年

「リゼドゥール」発売

2002年

50周年記念健康食品「命参仙」発売

「プレドリアム」発売

「DR ブライトアップ」発売

2005年

「イルミティー」発売

2007年

「モディフ」発売

2010年

「DR メディアッククリスタル」発売

「薬用 妙」発売

2012年

「カリフィエ ドゥスール」発売

「フィールメージュ リバイティア」発売

2013年

男性用化粧品「オッペン オム」発売

「ジュヴール」発売